オクスマンさんの家 第二話 | 葉的MANHATTAN☆HOUR
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オクスマンさんの家 第二話

【2014.08.06 Wednesday 14:21
熊のように大きくて、 眉毛と髭は茫々と伸び放題。眼光ギラリと油断なく光り、その存在感だけでひとはすくみ上がってしまう。

そんなひとを想像していた。十数年前からオクスマン氏を知るというブローカーのラルフが「ちょっと頑固者でね」というくらいだから、かなり難しいひとなのではないか。ラルフは柔らかく表現しているけど、実は相当偏屈な、おっかない人物なのではないか…。

オクスマンさんの部屋の前に立ち扉をノックすると、中でぱたぱたと乾いた足音がして扉が開いた。扉の向こうに立っていたのは、身長154センチのわたしよりももっと小さいのではないかと思われるほど小柄で、大きな瞳にいたずらっぽい光をたたえたおじいさんだった。

「ハロー」

「ハロー」

にこやかに握手。オクスマンさんの瞳の中の光を見て(ホビット族だ)と思った。
 
*註 「ホビット」族は英国の童話作家トールキンの大叙事詩『ホビットの冒険』や『指輪物語』に登場する種族。小柄で朗らか、食べること、飲むこと、おしゃべりすること、楽しむこと、そしてこまめに働くのも好きな、楽しい一族。
 
「きみが、今度入居するひとだね。逢えてよかった」 そう云ってオクスマンさんは手を伸ばし、嬉しそうに握手してくれた。
「引越しは無事に運びそうかね? なにかあったら云ってくれたまえ」
 
 
摩天楼の街でも、見上げた空の表情に、天と地が繋がっていることをふと思い出す。


入居する前にがらんどうの部屋に通って、床やキッチンを掃除したり(清潔にしてくれていたけれど、自分の手で「拭く」ことで、何か安心できるのだ。儀式のようなものかもしれない)、窓の幅を巻尺で測って、カーテンを吊るすための横木を買ったりして準備をした。

引越しは、それまで何度かお世話になっている「引っ越し太郎」さんに手伝ってもらった。日本男子がやっている引越業者で、なにしろ速い、確実、壊さない。エレベーターの無い、つるつるすべる大理石の階段で上がるしかない六階のアパートへも、汗まみれになりながら荷物を運んでくれた強者集団である。三年ほどのあいだにあっちこっち引っ越ししていたのですっかり「おなじみ」になってしまった。いつものように時間通りに現れた彼らは、「あれ葉さん、また引っ越しですか。引っ越し好きですねえ」と云いながら、このときもまたせっせと働いてくれた。

引っ越しに当たっては管理人の「ベン」に連絡を取るように云われていた。引っ越しは週末ではなく平日にするように、とも。小さなエレベーターひとつしかないので、他の住人に迷惑がかからないようにするためらしい。

荷物を搬入するとき、はじめて管理人のベンと逢った。小柄なオクスマンさんと対照的に、ベンは大柄で、全体に「樽」、それもドイツの田舎の納屋あたりに転がっていそうな大きくどっしりした樽を思わせる。ごま塩の髪はこういっちゃなんだがだらしない感じに伸びて、何日かシャワーを浴びていないような汗の混じった埃っぽい気配が漂っている。

(トロルだ)
と思った。

「このエレベーターは見ての通り小さいぞ。お前の家具、ちゃんと入るのか」
質問、というよりは、咆哮、に近い話し方で、ベンはそう確かめるのだった。

住みはじめてみると、その部屋はやはり光がよく入る部屋で、気持ちがよかった。地上十階に住んだのははじめてだけれど、空に近いのも悪くない。小さなダイニングテーブルを置いた横の窓からは、隣の、たぶん四階建てくらいの建物の、屋上庭園が見える。住人の姿はあまり見ないけれど、よく手入れしているのだろう。幾本かの樹や灌木、春夏秋を通して色とりどりに花も咲く。よそさまの庭の借景で申し訳ないけれど、窓の外に草木花々があるのって気持ちが落ち着くものだ。

ハドソン川が近いせいか、十階の部屋の外にもいろんな鳥が来る。ニューヨークの旧いアパートには大抵、壁の外に非常階段がついていて、見事な青の羽毛に包まれたブルージェイなんかが、 その手すりのところにとまって囀ったりもする。また、姿は見えず名前もわからないけれど、複雑なフレーズの見事な歌を朗々と何度も歌う鳥もいた。


こちらは近所のハドソン川沿いの公園を散歩するロビンとホシムクドリのみなさん。


小さなエレベーターには奇妙な「癖」があった。五階や八階など、わが十階より下の階の住人と乗り合わせるにはまったく問題がないのだが、十階以上の階の住人と乗り合わせると妙な事が起こるのだ。自分ひとりで乗る場合は、すんなり十階に止まる。下の階の住人と乗り合わせるときも、まず下の階、それからわが十階に止まる。けれども十階より上の階の住人と乗り合わせると、まずは十階に止まるはずが、素通りして上に行ってしまうのだ。それも、「十階と十二階」の組み合わせなら十二階に最初に止まるかというとそうではなく、なぜか十一階に止まる。十三階の住人と乗り合わせたときも同じ。(そういえば、英語圏では「十三」という数を避けたりするのではなかったか。いままで気づかなかったけど、このアパートには十三階があって、それが最上階になっている。)

じゃあ、十階より上の住人と乗り合わせた時に「常に」十一階に止まるかというと、それもそうでもない。こちらが身構えていて、「このエレベーター、十階は素通りするんですよね〜」などと相手と話しているときに限って、きちんと十階に止まったりするのだ。

(緑のこびとがいる)
と思った。

「緑のこびと」というのは自分でなんとなく想像したこびとだけれど、おとぎ話のランペルスティルツキンみたいな存在で、意地悪はしないけれども特別ひとを助けるでもなく、他愛もない悪戯をしかけては「シ、シ、シ」と笑ったりするのだ。きっとやつら(単数なのか複数なのかよくわからないけど)が、「ちょっとだけ困らせちゃおう」と笑いながらこちらを困惑させているに違いない。


こびとの姿はまだ見たことがないけれど、ホビット族のオクスマンさんとトロル族のベンのやりとりはなかなか面白かった。オクスマンさんはほんとに小さくて、でも赤白の横太ボーダーTシャツなんか着こなして、いつも葉巻をくわえたダンディなお洒落さんなのだ。ベンはいつも数週間は洗っていないのでは(というか洗ったことがあるのか)という感じのデニムのシャツと大きなジーンズ。身体は二倍ほどもあるベンが、オクスマンさんのことを「ボス」と呼ぶ。地下のランドリー室の手前にはボイラールームが、奥には昔の住人が置いていったテーブルや椅子、十年以上前のものと思われる冷蔵庫や、何かの部品があちこちに収納された作業室がある。「ボス」は大工仕事も得意らしく、いつも旧いラジオをかけて、なにやら忙しげに働いていた。

オクスマンさんは猫が好きで、わが愛猫ひめひめのことも可愛がってくれた。大家といえども一旦部屋を借りたら勝手に入ってくることはできないから、いつも部屋にいるひめひめとオクスマンさんが顔を合わせるのは、ひめひめを病院に連れて行くときに偶然逢ったときくらいのものだったけれど、いつも立ち止まっては愛しそうに彼女を眺め、「このこはほんとうに良い猫だねえ」とほれぼれした感じで云うのだった。

「はい、これから病院に行くんですよ」と云うと、
(ああ、可哀相に)といった感じに顔をしかめ、
「きみも出費が大変だ」などと心配するのだった。


ありし日のひめひめ。


わたしは、地下のランドリールームや、近所でばったりオクスマンさんに出くわすのが好きだった。どうやら、ラルフが云っていた「頑固者」な部分は、「昔はかなりそうだった」ということで、近年はずいぶん角が取れてきたらしい。奥様と暮らしていること、どこかニューヨーク州の北部に家を持っているらしいこと、くらいしか知らなかったけれど、彼にはなにか(やはりホビット族だ)と思わせる、人生を心から楽しんでいるような飄々としたところがあった。

「そういえばきみ、入居する前にオクスマンさんに手紙を書いたんだって?」

ある日近所でラルフと逢ったとき、そう聞かれた。そうだと答えると、ラルフは嬉しそうに笑った。

「とても感心していたよ。入居前に手紙を書いてきたひとははじめてだって。礼儀がしっかりしているって」

正直いうとこちらも、入居前に大家さんに手紙を書いたのはあれがはじめてだった。ラルフが「頑固者」なんて云うもんだから緊張したのと、それと、あの部屋の空気には、そういった「旧式」なことをしたいと思わせるなにかがあったのだ。

ユダヤ系のひとびとはキリスト教と同じく旧約聖書を読むけれど、クリスマスは祝わない。代わりに、同じ時期にハヌカと呼ばれる祝祭がある。でもユダヤ系ではない自分が「ハッピー・ハヌカ!」と書くのもなんだか気が引けて、クリスマスの時期にはひめひめの写真を貼付けたカードを送った。数日後、郵便受けに「きみのところの、可愛い猫の写真をどうもありがとう」という手書きのメモが入っていた。

そんなこんなで瞬く間に数年が過ぎたある冬、ランドリーの三つの洗濯機のうち二つが故障して、住民がみんな困るという出来事があった。けれど二ヶ月しても三ヶ月しても直してくれない。洗濯したくても、夜中などを選ばないと、洗濯機がなかなか空かないのだ。困ったなあ、と思ってランドリールームをうろうろしていたら、ごみを捨てに居りてきた8階のツルマキさん(わたし以外に唯一の日本人)に会った。

「洗濯機がひとつしかなくて困りものね」

そうですね、と答えると、ツルマキさんは云った。

「オクスマンさんが病気らしいのよ」
 
author : watanabe-yo
| Living | comments(9) |

この記事に関するコメント
葉さま。
お久しぶりです。
日本は暑いですよ〜。年々暑さが増して、熱帯に近づいてる感じがします。そんな日々に吹いてくる爽やかな風のような物語。
現代に現れたホビットたち街の妖精たちの物語。
何故でしょう・・・読み終わったらホロリとしちゃいました。
人と人がちゃんとフィール&コネクトしてる感じに懐かしさを感じてしまいました。
アメリカには行ったことありませんが、アメリカもいい国だなぁ〜&#9825;
続編を楽しみにしています。
あぁ、オクスマンさんが心配だ・・・
| EIKI | 2014/08/06 8:07 PM |
続きがたのしみです。ホビットの爺さまとトロルまたは樽男…良質な短編小説を読む喜び以上のものがあります。
| joekemboe | 2014/08/06 8:53 PM |
第2話をとっても楽しみに待ってました!
第3話、早く読みた〜い
(((o(*゚▽゚*)o)))
| オマーラ | 2014/08/06 11:26 PM |
葉さんとオクスマンさんとの初対面、なんともかわいらしい光景が目に浮かびます。
葉さんのお話を読んでいると人との出会いっていいなぁ…と思える瞬間がたくさんあります。もちろんかわいい動物たちや風景もこの出会いは偶然ではなくきっと必然なのかもしれないと。。
ホビット族のオクスマンさんとトロル族のベン…
そして親愛なるひめひめさんと葉さん…
またまた
お話の続きが気になります。


楢葉さんもがんばってゆっくり元気になってくださいね。葉さんもおからだを大切にして下さい(^-^)*
| 悠々 | 2014/08/07 2:22 PM |
Eikiさん
ありがとうございます。涼し過ぎるNYからすると、日本の暑さほんとにほんとにほんとに分けてほしい....ジャケット着て歩く8月なんて初めてです(ふつう、NYの夏はもっと暑くなるんですが)
それはそうと、楽しんでいただけてよかったです! オクスマンさんのことは、ずっと書きたいと思っていたのでした。

joekembo師匠
おお、それは嬉しいお褒めの言葉! 書きたいと思うことについて言葉を紡ぐという作業は、それをすることそのものに喜びがありますね。


オマーラさん
ありがとうございます! これから書くぜ!!


悠々さん
ありがとうございます。楢葉さん、がんばって生きてる。僕もがんばります ¥('-'
| 葉 | 2014/08/08 11:24 AM |
葉ちゃん、

いるんだよね。うん、いるんだ。
私たちにはめったに見えないんだけど、こちらのことはお見通し。

それにしても、オクスマンさん、心配だ。
| 峰子 | 2014/08/10 11:58 PM |
楢葉さん、葉さんのお家に来てから日に日に表情も変わってとっても穏やかに…きっと葉さんのやさしい気持ち伝わっているんだろうなぁ〜♪
ちょこんとバスタブでお水、なんとも言えずかわいいです*\(^-^*)
| 悠々 | 2014/08/12 10:00 PM |
葉さん こんにちは

あなたの文章がとても大好きです。
私も、こんな表現が出来ると素敵だなと憧れています。

先月、ニューヨークに行ってきました。
本当に安全で素敵な街です。朝、娘とセントラルパークで散歩していると通りすがりのお爺さんが娘を見て微笑んでくれる事が何度もあり、何となくこの街の住人の懐の大きさを感じました。

第三話楽しみしています。
| あきこ」 | 2014/09/11 10:06 AM |
葉さん、お久しぶりです☆
久々に覗いてみたら、だいーぶ前に更新されてたんですね!
私は葉さんの言葉選びが大好きです。
久々のお話に心がほっこりしたのも束の間、オクスマンさん、心配ですね。。
| まっち | 2014/10/10 12:14 PM |
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渡辺 葉
NY&NJ attorney
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translator
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